30対1から70対1へ(貧富の差 )
30対1から70対1へ。これは貧富の差の統計値で、以前は30対1であったのが、現在は70対1に成ったとのテレビでの報道である。以前とは何時の時代であるのか、又どのような方法で統計を取ったのか聞き逃したが、貧富の差が倍以上に拡大したであろう事だけは間違いない事実出あろうと私も思う。(フセインを滅ぼした後の報道です)
軍事力においては、今やアメリカの一人勝ちのようで、あのイラクでの圧倒的と言うより一方的な戦いぶりは、少なからず他の国に脅威すら与えているのではないかとも思われます。あの原子力空母一隻だけでも立ち向かえる国があるだろうか、と思えるぐらいの軍事力の差が開いたように思います。もちろん空母の方にも多少の被害は出るでしょうが。
湾岸戦争時におけるアメリカの軍事力と今回の戦においての軍事力の違いには、世界に驚きを持って受け入れられた事でしょう。イラク軍の衰えを差し引いたとしても、その軍事力の進歩は大変なものと言えるのではないでしょうか?特に爆撃精度を上げるコンピューター関係の進歩に大変なものがあったに違いありません。
しかしながら、その軍事力の背景には大変な消費経済がからんでいるという事です。軍事には生産性はありません、軍事力での繁栄は基本的には略奪です、これは今も昔も変わりありません。単に直接的であるか間接的であるかの違いだけです、はっきりと言ってしまえば、単に経済という仕組みの中で、巧妙になり複雑になったに過ぎないのです。
今、アメリカの繁栄はあの軍事力を背景にして成り立っている事だけは誰の目にも明らかでしょう。あの軍事力を維持するためには大変なお金が必要だという事です、そしてそのお金を世界中から集めているという事です。その上、そのお金を集めるための軍事力という事になるのでしょう、そういうサイクルの中に入ったのではないかとすら思えます。
恐ろしいのは、軍事力というものは常により強いものを求め、常に拡大して行くという事です。言い方を変えればお金のかかり方も膨らむ一方だという事ですし、その上加速度が付くという事でもあるしょう。経済の成長も同じように加速度を付けて行けば問題無いのかも知れませんが、デフレの時代ではとうてい無理な事ではないですか?
治安というレベルで平和のために貢献していると言う部分を無視できないのも事実です。経済の発展には何にもまして平和である事が大切でしょうし、人の交流が最も大きな要素である事は、冷戦の終わりで証明している様に思います。交通網の崩壊が経済という物に最も打撃を与えるという事も、又まぎれの無い事実でしょう。
「過ぎたるは及ばざるが如し」という諺があります、平和のための治安という事にも当てはまる事のような気がしてなりません。貧しくなる一方の民が行き場を失い、テロという行為に走ってしまう現実があるような気がしてならないのです。そしてこのテロに対抗するためにもっと強力な軍事力を求める、という悪循環におちいっているのでは?と。
「環境破壊」「テロ」「軍事力」この三すくみに世界経済はホンロウされ、方向性の立たない迷路の中へと紛れ込んで行ってしまったのではないかとすら思えます。人類の思い上がりと言ってしまえばそれまでですが。 15年5月28日