三という数字の不思議(魅力)
三面とは面積として成立する最低の単位ですが、二面という線の単位から、面積の単位への分岐点のように思います。又椅子なども2本の足では基本的に成立しないわけですし、3本あって初めて安定という別の部分が生まれて来る訳です。広さにしても安定にしても、我々の生活に実質的にかかわる単位に変化するのが3という単位のような気がするのです。
三日ぼうずとか、三度目の正直とか、二度ある事は三度あるとか、三にかかわる諺のようなものが大変に多いような気がするのです。幼稚園も3年、小学校は6年ですが高学年と低学年に分かれるようですし、中学校も高等学校も3年です。何か3年という時間というものに一区切りの何かを感じてならないのです。
「自由」「平等」「博愛」という言葉もあります、これも3つの言葉からなっています。一つ一つの言葉を論ずれば難しくなりますが、それぞれに合いいれない独立した要素のある言葉でしょう。光の三原色のように全てをあわせれば白になるように、この3つの言葉も無理に合わせれば白、すなわち「無」なってしますのではないかと思う事もあります。
宗教においても「キリスト教」「仏教」「回教」が3大宗教と言われている様です。これとて多くのものが生まれたに違いないのです、ですが何時の日か3大宗教という形で残ったように思えら成らないのです。そしてそこから又複雑に分かれていくのも人の世なのかも知れないとも思うのです。(一番知識の無い部分ですからあまり触れない事にします)
好きな言葉に「心、技、体」と言うのがあります。この言葉もその目的におおじて解釈の仕方が変わってくるように思います、「心」という事も、平常心と捉える事もあれば、目的意識と捉える事もあるでしょう。「技」は単に技術であったり、生活力と捉えたり、「体」も単なる筋力でもありますが、健康という捉え方もある訳です。
日常生活の面であったり、スポーツの世界であったり、あるいは恋愛論上の事と、その目的において解釈の仕方に多少の変化が見られても、その原点は3つの方面から考えなさいという事のような気がします。三次元が地球上の原則となっているのでは無いでしょうか?もちろん時間とか、色々な物を加えることによって複雑にする事は簡単ですが。
私個人の事で言えば、文章を書き脳細胞に刺激を与え活性化させている様です、テニスというスポーツを通じて筋肉に刺激を与え体型とより高い健康を得たようです、姿勢が良くなったという事が日常生活において、楽しみが増した大きな要素のような気がします。そして事業を通してわずかではありますがお金という力も得ている事です。
脳細胞、体型(健康)、経済力、この3つがバランス良く得られているということが何より幸せを感ずる事のような気がします。その上、この3つ共にわずかながらも継続的に前進しているという事です、そんな事への感謝が若者への伝達という気持ちにつながって来たようです。(結果的には自分への効果が一番大きいですが)
未婚の女性に申し上げたい、男性を選択するときは3つの要素から考えなさいと。その3要素はそれぞれの人生観において価値観も変わりますから、3要素の基準は異なって来るでしょうが。安らかな生活の原点のような気がします。 15年5月26日