「川嶋あい」ちゃんだって!!

 渋谷のテニスショップに行こうと家を出た。午前中はいつものようにテニスをやり、昼ご飯の前に飲んだわずかばかりのビールに酔い、一眠りをした午後の事である。4時前後であると思うが、渋谷まで役30分ほどの行程の青山通りをなぜか歩きはじめた。自転車で行動する事の多い日常なのに、トレーニングのつもりにでもなったのだろうか。

 宮増坂を下りると左に曲がるのが常なのだが、この日はなぜか東急東横店の一階通路を抜け、山手線の切符売り場の前を通り、ハチ公の銅像の前にでた。すると東横店との間の物陰に30人前後の人の輪が出来ている、ここでも左に曲がるべきところなのに、無意識のうちにその輪の方に歩いてしまったのだ。単に好奇心多いおやじなのかも知れないが。

 その物陰を背にしてエレクトーンを弾きながら歌をうたっている少女がいるではないか、私は右後ろからのぞくような位置に近づくかたちになり、何時の間にか立ち止まって聴いている自分がいた。ほんの3分程度で歌は終わり、マイクを持って「シンガーソングライターとしてがんばります、うんぬん・・・」の挨拶の後、CDを売り始めたのである。

 34人ほどの人が買ったろうか、列が途切れてしまった。エレクトーンの前に一枚300円以上で買ってくださいとの張り紙がしてあるのを気づき、街で売られているCDの値段も知らないが、買って行く若者は1000円札を出し2枚ほどもとめている様だ。私は1000円というわけにも行くまいと思い、5000円札があったのでそれを差し出す事にした。

 若者が懸命に行動している姿を見ると、素通りできない自分になっているようだ、これも「何かの縁」と感じて応援したくなってしまう。「CDは何枚出しているの?」「三枚です」「それでは三枚、くれますか」、「あ、それからサインして」。CD三枚とパンフレッドの裏にサインをした後「いくらで買って頂けますか?」と問いかけてくる。

「いいよ、いいよ、サイン代だ」「うわっつ、ありがとうございます」。ほんとうに素適な心からの笑顔であった、ちょっと感動したのは言うまでもない。今後の活動など少しばかりの会話の後、振り返ると行列を作っているではないか。俺は「人を呼ぶのだ」などの自惚れと、多少の気恥ずかしさを感じながらその場を後にした。

 もし、そのまま歌い続けていたら、程なく立ち去ったであろうし、CDを求めるのに長い行列が出来ていたら、並ぶ事も無かったであろうと思う。歌の間といい、買い求める若者が切れた事といい、私に買う事を義務付けられていたようだ。それよりも何故普段と違った道を通ったのか不思議でならない、「吸い寄せられるが如く」とはこの事であろう。

 テニスショップへと向かい予定の買い物をして帰途についたが、たぶんに締まらない顔をして歩いていたであろう己の姿を思うと多少滑稽でもある。家内に事情を話し、CDをかけてもらったが、「何か心をひかれる歌だね、詩もメロデーも出つくしたのかも知れないね、これからは歌い手の人格を表現するしかないのかも知れないね」とは家内の言葉である。

 ひょっとすると人気が出てミリオンセラーになるかも知れない。そしたらこのサインつきのCDは宝物になるぞ、いや手を伸ばせば抱きしめられる距離で会話したという事の方が自慢になるかも知れないな! 川嶋あい、17才。 ガンバレー!   15518


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