50個の監視カメラ(新宿歌舞伎町にて)
東京新宿歌舞伎町に50台の監視カメラが取り付けられたそうです。世界に有する繁華街ですから、当然の事として治安的な問題もあるのでしょう、特に問題ある外国人が増えたという話はよく聞こえていましたから、必要に迫られての行為なのでしょう。事実その様な外国人の数は減っているとのうわさを耳にしますし、治安が良くなる事はなによりです。
所が思わぬ問題が起きたようです、訪れる客が半減したとの事なのです。カメラに写っては具合の悪い人がいかに多かったかと言う事なのでしょう、やはり繁華街と言う所はこっそりと訪れてひと時の息抜きをする所なのかも知れません。そこにカメラという物の存在により、こっそりの場所ではなくなってしまったと言う事に成るのでしょう。
人は秘密のいう事柄に何となく誘惑を感じるのかも知れません、危険という事との兼ね合いの中で行動するものなのでしょう。安全のためには情報公開がより必要になるのでしょうし、それでは秘密が奪われ興味も半減し足が向かなくなるという現象に繋がるのかも知れません。そのバランスがなんと言っても難しいのでしょう。
又、人は他人に知られたくない部分もかなり持っていると言う事でしょう。俗にいえば不倫と言われる人達はカメラに写ってはまずいでしょうし、記録として残される場所への行動は慎むに違いありません。集まる人が半減したという結果もうなずけると言うものです。でもきっと、一時的なものですぐに回復するような気がします。
通信網の発達は秘密と言うものをことごとく奪っていっている様に思います。電話も警察では合法的に盗聴出きるわけですし、メールというものも全て記録として残されていると言われます。いまや我々の生活のほとんどを社会にさらけ出しながら、裸同然でいやまさに裸にされて生きているのかも知れません。
カメラという物も特殊な赤外線を使い洋服を通してしまうのも出来上がっており、全ての人が完全な裸体として写っているのかも知れません。日本人の美徳とされた、隠すというしぐさにも変化が表れ、その価値観が激減した様にも思います。人も最初は裸で生活していた訳ですから、その原点に戻るのかも知れません。
寒さ対策で身に付けた洋服という道具が、隠すという行為を生み出し、その結果秘密という意識に繋がったのでしょう。それが何時の日にか文化と言う事になり、人々の生活をより豊かにしていった様に思います。今又、通信網という道具が人の秘密を剥ぎ取り、生まれたままの姿に引き戻している様に思えてならないのです。
これからは「現代の裸の文化」を作り上げていかなくては成らない様に思うのです。ますます秘密はあって無いようなものに成っていくでしょう、それは肉体に洋服という保護膜があったように、精神にあった秘密という保護膜を失っていく事のような気がします。個人の時代とは保護というものが無くなる、個の力だけの時代になるのかも知れません。
自分の体の中心にささやかにぶら下がっている哀れな姿の一物と、いかにして仲良く生きて行くかを模索しなくてはならないのかも知れません。寒風にさらしてより縮み上がった姿を、さらけ出して生きて行かなくては成らないのであろうなあ・・・。