気を引くと言う事
又、新たな発見をした様です、様ですと言いますのは今ままさに進行形なのです。文章と言うものを書き出して早くも2年です、この間、自分自身の中での変化の指摘をされ、又自らも感じて来ました。古くからの友人の言う事には、自己の表現方法が柔らかくなったと言うのです、威圧的でなくなったと言うのです。
子供の頃から思考するのは好きでした、特に高校の頃からその傾向が強くなり、人生についての本を好んで読み幸福とはとの追求をし、大学に入学しての3年間ぐらいがそのピークに達したようです。その頃白人の神父さんの主催する集まりにも参加し、論じていました、常時30人ほど集まっていましたが、全員で100名程のサークルだったと思います。
当時は学生運動の盛んな頃で東大の安田講堂にたてこもる事件があり、このサークルの仲間も数人たてこもり逮捕されていますから、それなりに激しい討論を行なったように思います。その中で堂々と発言しておりましたから、その素質はあったのでしょう。
若い時の経験はその後の人生に大きな影響を与えるもので、本人は普通に会話をしているつもりでも、話し合いではなく議論の口調になり、相手を論破する姿勢が生まれていた様なのです。本人が意識していないのですから、なおの事始末が悪い訳で、多くの場合人間関係を壊していったように思います。論破とは戦いですから生まれる事は少ないです。
大学入学と共にその議論に付き合ってくれた親友ができた事が、大変な幸運であったと思います。講義が終わると毎日のように喫茶店(当時、カフェとはあまり言いませんでした)で時間を忘れて話し、外が暗くなりあわてて帰ったと言う事が多くありましたから、平均3時間は話し込んだと思います。大変に優秀な男で常に私が論破されていましたが。
私の性格からして、自分よりも優秀な男にめぐり合い、常に挑戦する立場にいたと言う事が幸せであったと思うのです。飽くなき挑戦です、続けると言う事ならばこの頃から得意だったのでしょう、6年後の卒業時(歯科大ですので)には肩を並べ論じていたように思います。ただし女性からの評価は大変な差がありましたし、現在も続いていますね。
男の評価は女が決めるものであるとするならば、この差は永久に狭まる事は無いでしょう。彼は絵を書き、音楽を好み、芸術といわれる世界では私と正反対で、人の心に対応する能力も抜群で、俗にやさしい男と言われる見本のような人でしたから(今でもそうです)、トーヘンボクの私と比べる方が失礼と言うものです。
この感性だけはいかんともしがたく、継続と正直だけが生き方の男としては、力をつけるしか生き方の選択がなかったのでしょう、歯医者では技術を磨く事に専念し、今又事業家として資本という力をより大きくする目標を持っているのかも知れません。でも好きなのだろうと思います、人生、好きと思える事だからこそ続くのだと思うのです。
文章を書いて最初にぶつかった事は読んで頂くと言う事です、相手に興味をもってもらわねばならないと言う事です。どう書いたら伝わるかの以前に、どのように表現したらもっと読んでみたいという衝動にかられるか、と言う事です。これは会話には無い世界です、見ず知らずの人に己を表現し「気を引く」難しさに挑戦しております。