政治献金について(鈴木宗雄の問題)

 昨日(315)一人の自由民主党の議員が離党した、来週にももう人とりの議員が離党する様です。これらは全て政治献金という名の政治資金の流れによる疑惑によるものと言って良いでしょう。これから離党するであろう議員は、問題を起こしたのは秘書と言う事ですが、その秘書の行動をどれだけ把握出来ると言うのでしょうか?

 最も、この秘書は政治献金だけでは無く、脱税容疑と言う事ですから、内容は大変な違いがあり、比べる事じたい無理があるのかも知れませんが。とは言え、秘書とは言えどもその行動を全て把握するのは土台無理と言うものでしょう、そんな男を秘書にしたと言う事の、人への判断力が問題なのかも知れません。これも運の一つでしょう。

 しかし、政治献金という制度は法が認め、正当な行為として許された活動であると言う事です。その意味では離党してしまった元自民党員は法には触れていないのです。彼が行なった行為で法に触れるのは外務省の役人を殴り、足で蹴ったという暴力行為だけでは無いかと思うのです。だから罪人として議員を辞職しないと言うのなら納得します。

 ところが、実際は政治献金と言うお金の流れが大きく問題になり、海外援助という名の土木事業の見返りとしての献金が問題となった訳です。法に触れるのは特定の業者を指定して便宜を図ったかと言う事が問題のようですが、直接的な言葉は無くとも現実的には、何らかの方法で圧力をかけた事は事実でしょう。

 しかし、問題は法に触れているかどうかと言う事でしょう、現実にはぎりぎりの行為ではあっても何とか法に触れない様に行動している様に思えるのです。私はこんな紛らわしい法律がいけないのだと思っています。政治献金と言うものを個人からしか受けてはならない、と言う法律に変えてしまえば事足りるのです。

 少なくとも、自分の選挙区域にある企業、及びその関連企業からの献金を一切受けてはならない、というように変えてしまえば事足りるのです。ですが、実際はそれでは政治資金が集まらず、政治活動は出来ない事になるでしょう、少なくとも過去においては出来なかったのです。(ひょっとすると、これからは出来るようになるかも知れませんが?)

 太平洋戦争後に外国の圧力により、政治形態は民主主義と言う事になり、選挙と言う形が取られています。しかし、このお金のかかる政治形態にお金の流れまで、指導を受けませんでした。このとき民主主義とは個人個人がお金を出し合ってこそ成り立つ事だと、徹底的に指導されていたら日本は違った道を歩んでいたようにも思います。

 そして、それこそが民主主義と言うものでしょう、日本は残念ながら形だけの民主国家になってしまった様です。結果、政治に必要なお金と言うものを、別の形で集めなくてはならなく成ったのです。その時は空襲によって破壊の限りをつくされ、廃墟とかいている都市がほとんどでした、その復興に公共事業が最も必要だったはずです。

 その税金の流れに、政治家と企業が癒着するのも当然かも知れません。国内復興から海外援助という名の土木事業を斡旋し、その見返りとしての政治献金という、流れの終わりを意味する、今回の事件かなと感じないでもありません。


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