恥じの文化と罪の文化
江戸時代には恥をかかされたと言って刃物沙汰になったり、腹を切る破目になったと言う事があったと聞きます。生活の原点が恥じをかいては生きてはいけない、と言う心の戒めがあり、日常生活の補助として規則というものがあったように思えてならないのです。「恥じを知れ、恥じを」と子供の頃、よく目上の人から怒鳴られたような記憶があります。
「お天道様が見ているぞ」という言葉もよく投げかけられたように憶えています。これも人の評価よりも、自分の心を戒める方法として生まれてきた言葉のように感じます。それぞれが個の次元で自分を戒めながら、集団を築いて来たのが大和民族であったような気がするのです。そしてその心の延長線上に恥じと言う意識が生まれて来た様に思うのです。
これも農耕民族と言う原点かも知れません。子供の頃、父によく言われた言葉です、「山の木は嘘をつかないからな」。その言葉の裏には「お前達はよく嘘をつく」という意味が隠されているわけですが、まあ嘘と言わないまでも、志と結果が一致しないと言う人の心の弱さを、指摘している言葉と解釈した方が適切かも知れません。
父の仕事は製材所の経営でした、そんな関係から林業の経営に手を伸ばし、製材所を廃業した後の今日も林業を続け、85才の今も山に出かけ植林をしております。私も10代の初めから東京で生活しておりますが、学校の休みは必ず帰郷し、父と共に山を巡り山林の状況を認識するのが務めでした。自然の中での父との良き会話の場であったと思います。
最近は花壇を趣味にしている方が増えている様です。花も話しかけながら育てると違って来るという言葉を耳にします、植物への愛情と言う事になるのでしょう。農耕文化とはこの愛情が原点あり、この延長線上に勤勉に働くと言う意識が生まれて来たに相違ないのです。そしてこの愛情の裏返しに恥の文化が生まれて来たように思えてならないのです。
生活の基本に恥じの文化があった訳です。ですから生活の中で、一応の目安として規則が生まれて来たのであろうと思うのです、その運用は恥じという基本から行なわれたに違いないのです。それは嘘をつかないという植物が原点にあり、生命体として生きると言う事の基本に正直さを求めたのでしょう。そして恥じという意識が生まれたに違いないのです。
罪とは規則に対する意識です、そして罰すると言う事に繋がるのでしょう。これは社会が個人に課する行為です、罰金とか刑を課すると言う行動に出るわけです。ところが恥じとはあくまで自ら己に課する行為なのです、ですから自戒の念にかられる事から始まり、隠居などと言う行為に繋がって行き、その究極は切腹と言う事になるのでしょう。
日本は本来恥じの文化でした。ところがこの恥じという意識が薄らぎ始めている様です、いや風前のともし火と言った方が適切かも知れません。これも時代の波と言えるのかも知れません、世界の風潮は「罪と罰」の意識でしょう。交流が激しくなる一方の世界で、日本だけが特別な地域でいられるはずも無く、恥じと言う意識も薄らぐのかも知れません。
今はその混乱の時かも知れません。政治家に対しても、色々な点での規則違反を訴えながらも、明白な証拠を突きつけ、罰を与えるでも無く、最後は恥じの意識をもって自らの進退を求めるなど、混乱の中で何となく進んでいる様に思えてなりません。