ラベルの意味って?(雪印問題)
何処の産の肉かってそんなに重要な事ですか?あなたは何処の生まれの人ですか?生まれた場所でどれだけの違いがあるのですか?俗に秋田美人とか新潟美人とか言われますが、何故、美男子という県はないのですか?(私は山形生まれです、秋田と新潟に挟まれた県です、美男子でも良いでは。)不公平というものでしょう。
産地によって味が違うと言うのかも知れません、でも本当でしょうか?自ら味で判断しているのでしょうか?どうもそうは思えないのです。自分の味覚に自信が無いからこそラベル(他人が判断した価値観)に頼っている様にしか思えないです。頼っているからこそ、その頼っているものに裏切られると腹が立つのではないでしょうか?
もちろん、ラベルを張り替えた行為を認める者ではありません、これとて純然たる詐欺行為だと思います。ですが詐欺などというものは安易な道を通ろうとした時におちいり易いものでしょう、自ら判断し選択した時は、詐欺にあったと言う意識よりも、自分の判断が間違ったという意識になるものだと思うのです。
賞味期限という日付も入っている様ですが、これとても自らの舌の判断で行なってきた人間の生活能力の一つでしょう。つい十数年前までは少しばかりなめて見て、舌でもって食べられるかどうかを判断したと思います。何時作ったかという事よりも、現状が大事なわけで、その保存方法もそれぞれが工夫したわけです。
現代は生活道具が行き届き、工夫を凝らす必要性が無いのかも知れません。結果無関心になり五感という能力の低下をまねいているのかも知れません、いや低下していると断言して良いようです。最早自ら判断する能力を失ったのかも知れません、美味いと言う判断も舌でする事無く、どこそこの産だから美味いはずだと脳が言っているのかも知れません。
人類は進化している部分と退化している部分があるのはやむを得ないのかも知れません。特に現代人は視力の衰えははなはだしいと聞きます、まあ五感に関する事柄の衰えは激しいようです。でも内容は正反対のような気がします、目は酷使しているかも知れませんが、舌の味覚は怠けさせた結果のような気がするのです。
人はどうしても安易な方に流れます、そこに付け込まれる空きを与え、結果詐欺というような行為を与えてしまうのだと思うのです。食べ物にかぎらず、人はよく騙されるものです。でもその内容は、人の心を信じようとして騙されたという結果におちいるものと、自ら怠けた事が原因のものでは大変な違いがある訳です。
そうして、怠けたことに原因があるものほど、他人を追及するものでもあるような気がするのです、それぞれがどこかに後ろ暗さを感じるからかも知れません。大きくみればこれも危機管理能力の一部です、自らの判断で安全というものを手に入れていかなくてはならないのです、他人に頼っては生きていけない時代が来るのかも知れません。
職人の時代と言われて久しいです。職人にとって一番必要な事は五感かもしれません。もちろん頭脳を無視するわけではありませんが、緻密な最後の仕上げとなりますと、もはや言葉には表れられない「感の世界」としか言えないものがあるのです。