ITの原点は井戸端会議かも?
井戸端会議とは生活の中心である所の水というものが起こした副産物でしょう。日々の暮らしの中で水にまつわる事の多い家事というものをしながら、おしゃべりに花を咲かせたわけです。そしてそれが御婦人方の大変は生活の知恵となったのでしょう。料理の話から洗い方の方法などもあったでしょうが、人の行動について多く語られたように思います。
人間という者は、なんと言っても他人の行動ぐらい気になるものは無いようです。経済の原点は他人がどのような物を好み、どのような行動をするかという事を知る事でしょう。自給自足の生活には情報は必要ではありません、別の言い方をすれば全ての事柄が自分の視野の中にあり、全てを把握できているのです。情報を全て把握出来ているという事です。
人は自分の視野に入らない所の他人の行動が気になってし方が無いのです、それが噂話となって広まる訳でしょう。特に女性にその傾向が強いようです、きっと身を守るための生活の知恵だったにちがいありません。基本的には自分に関わっている男性の行動を、いかにして把握するかという事に全精力を傾けたのではないかと思うのです。
男は本質的に浮気っぽいものでしょう、神様がその様に創ったとしか言い様がありません。私とて例外ではありませんので、それなりの理論立てをしましても自己弁護のようにしか聞こえませんし、となりの芝生とか、新しい畳とか、昔からその事にまつわる言葉が数多く示されている通り、現実として受け止めるしかないと思います。
女性にとって情報を得るという事は、自らを守るために無くてはならない事柄の一つであった訳です。当然の事として大勢の輪の中に入り、なんとなく探りを入れると言う行為が発達した背景があった訳です。井戸という貴重な水を求めて集まる女性にとって、副産物としての噂話し、すなわち情報収集に花が咲いたのは当然の事なのでしょう。
原点は今も昔も変わりません、本当の事を知りたいのです。逆に言えばIT産業が発達するという事は、真実を知りやすくなったという事なのかもしれません。現代は本物志向と言われますが、当然の事のような気がします。偽りの行為ではすぐに見抜かれ、そして広まってしまうために、すぐに立ち行かなくなってしまうという事なのでしょう。
とは言いながら、経済の原点は生活に必要な品物すなわち生活必需品という物だけでは、立ち行かない規模になっている様に思うのです。やはり男が女性にうつつを抜かしお金を使ってこそ、営まれる経済に広がってしまっている様に思うのです。世の全ての男性が奥様大事とばかり真っ直ぐに帰宅してしまっては、日本の経済は崩壊するでしょう。
経済とは不思議なものと言わざるを得ない気がします。やはり原点は楽をしたいという合理主義から始まっているからでしょう、そして余った時間を娯楽と言う形で過ごしたいと思ったに違いないのです。その娯楽の最も崇高なものは、人生哲学であり芸術論であるのかも知れません、ですがこれではあまり経済効果は生まれない様です。
我々凡人が好むものはやはり男女間に関する事柄なのですね。一言で言ってしまえば、いかにして異性にモテルかという事につきるようです。そしてこの事に関する行為としての経済効果は、無限大と言っても過言では無いようにすら思うのです。人類の歴史はシザーとクレオパトラの時代から、何ら変化していないようにすら思います。
男にとって、その価値を問われる判断基準と言うものが、その時代によって変化はしている様には思いますが。戦いの時代(戦国時代)と平和な時代に大きく分けられるでしょう。この事は日本の歴史の中に交互にきている様です、そして世界的に見ても武力の効果というものが、現代ほど過小に評価される時代は、無かったようには思うのですが?
いまや男の魅力に、国を守るという意味の力という物の評価は下がったに違いないのです。平和な時代の男の魅力とはいかなる物なのでしょうか?現代の男はこの結論を求めて志向錯誤している様にすら思えてなりません。そしてこれは女性が決める事柄なのです、その一つの表れがセクシャルハラスメントという言葉に代表されるのだと思います。
現代の男にとってこの言葉ほど恐ろしい物はありません、この言葉を浴びせられない為の努力を男はどれほどしている事でしょう、もはや涙ぐましい努力としか言い様が無い状態と言っても過言では無いと思います。現代の男にとってこの言葉を浴びせられない事が価値基準の一つとすら言えるのかも知れないと思う事すらあります。
この事が社会生活をする上での最小限度の価値基準の様にすら思えます、そしてやっと男女が交流する社会の一員になれるわけです。でもこれではまだ男として認められた訳ではありません、集団の一員にしか過ぎないのです。これから男(オス)として認められるべく努力が始まるわけです、貴方の子供を産みたいと言ってもらえる為の努力です。
男にとっても、女にとっても、情報が発達したという事はシンドイ事かも知れません。でも素直に自然界を見渡せば、オスの必要な数ははなはだ少ないという現実がある訳です。情報と言うものが進めば進む程本物志向になる事だけは事実のようです。人類の本物とはと考えますと、より自然界に近ずく事かも知れないとすら思うのです。
女性が一番求める事は自分の安全であり豊かさでしょう、それはまぎれも無く優秀な男性と結びつき、優秀な子孫を残す事に他ならない訳です。自然界の法則にまさに一致し、男の競争が激しくなり、過当競争の時代に近づく一方なのかも知れません。男にとっての未来ははなはだ厳しく、私などは早く生まれて良かったと胸をなでおろす思いです。
男にとってモテルという事はあくまで相対的な事であり、やはり全体の何パーセントかに過ぎないという事の様です。現代の学校のまさに偏差値にあたる訳です。男にとって受験と言う事柄よりも深刻な問題に違いありません、女性の側に行けない深刻さというものは、男にとって地獄の苦しみと言っても過言では無いと思います。
情報が早くより細かく正確に入手できるという事は、その能力差が歴然とする事であり、自らの能力を全て相対的に把握されるという事に他ならないのです。その中で選ばれるという事の大変さは、入学試験のための試験勉強が一生続くという事に成るのかも知れません。選ばれるという事は選ばれ続けなければ成らないという事に成るのでしょう。
情報というものは、常に自らをあからさまにされるという事であり、生きるという戦いがより厳しくなるような気がして成りません。今私がいどんでいるテニスというスポーツが正に物語っているような気がするのですが・・・?