又、挫折したようです
テニスの試合に遠征して又簡単に負けてしまいました。別に負けたことを悲観しているのではありません、自分のテニスが出来なかった事をだらしなく思っているのです。内容があまりにひどすぎてラケットを折りたくなっていました、試合の最中に。しかし、それはあまりにマナー違反ですので、ぐっとこらえはしましたが。4月の末の話です。
人間の不思議さを又改めて感じました、今まであんなに文を書くことに熱中していた自分があったのに、パソコンを開くエネルギーすら沸いてこないのです。何か時間を前向きに消費しようとする意欲が湧いてこないのです。文だけではなく筋トレも怠りました、それでもテニスだけはなんとか続け、日常のテニスの日程だけは消費しました。
それでも4月の末から、福岡、名古屋、東京、大阪と試合を続けていく内に少しずつ立ち直ってきたようです。今の私にとってテニスが仕事みたいな物ですから、挫折しながらも無心に仕事をこなしていたと言ったところかも知れません、そのうちにその中から何かを見出したような気がします、又少しずつ前向きになってきたようです。
もう4年前になりますね、自分のテニスの形を変える決心をしたのは。前にも述べましたが、以前ははなはだ虚弱体質で筋肉の無い体でした。175センチ53キロという体が続いており、38歳になっても若い時と同じ体型だけは保っていた様です。上半身はまるで駄目でしたが、それでも学生時代のワンゲルのおかげで歩く事だけは強かったように思います。
その年の10月にテニスクラブに入り初めてラケットを握り、ただひたすら走り拾い回るだけのテニスを10年ほど続けました。簡単に言えば自分の体力に合ったテニスを続けたわけです。その頃先輩に言われた言葉ですが、「10年間は上達するよ、その後は難しいが?」。それはその体力にあった技術が身に付くと言う事だったのですね。
50歳の頃、自分のテニスに上達兆しが見えなくなって来たのです、今までの様に仲間を追い抜いていけなくなったわけです。考えぬいた末、早い強いボールを打つ事に挑戦したわけです、そうしない事には勝ち進む事が出来ないと判断したわけです。その判断は間違っていませんでした、ただ自分の体力以上の技術に挑戦する結果となったわけです。
当然の結果として体の崩壊が来ました、具体的には腰痛です。この時ほど腰という字に要という字を入れたのは的確だと思った事はありません、うつ伏せになったまま何も出来ないのです、出来ないどころか安静にしても激痛なのです、身の置き場が無いとはこういう事か思い日増しに強くなる一方なのです。
整形外科、鍼、マッサージ、ありとあらゆる事に相談しましたが、一向に良くなりません。筋肉のバランスの崩れだと診断され筋肉トレーニングが始まったわけです。スポーツジムに通いトレーナーに教わりながら始まったわけですが、これが又ひどい物で、まともなトレーニングができるようになるまで、1年の歳月が必要でした。
その後の1年間の筋トレの効果は目を見張るものがありました。その体力を基礎としたテニスに変え、それなりに自信もあり、テニスの試合にいどんだわけです。ところがみるも無残な結果となり打ちのめされたわけです、冷静に考えればテニスの技術と言うものは、わずか1年程では身に付くはずも無く、当然の結果なのです。
挫折してみて、あらためて挫折という事を考える機会を得ました。いつも思ってきたのです、私の人生は失敗(挫折)の連続であったなあと。失敗しながら、いや失敗したが故に成長もしたなあとも思うのです、以前「失敗は成功の素とは言うけれど」いう所で文章にした時、お釣りと言う表現で申し上げましたが、前進しようとする意欲であろうと思うのです。
恋をした時、心ひそかに思いつづけ片思いでいる事に満足していれば、挫折する事を心配する事なく心豊かな日々が送れるわけです。ですが、好きになった人からは好かれたいと思うのが、人の心というものでしょう。これが前進しようとする行為につながり、挫折の原因にもなる訳です。問題はその行動の方法にあるのだと思うのです。
好きな人にそのままの自分を受け入れられ、好かれてしまえば何も問題ないわけですが、現実はそうは上手くいかず受け入れてもらうには、かなりの努力を必要とする場合が多いわけです。相手に好かれる人間になろうと努力する者、好きだと気持ちを必死になって伝えようとする者、萎縮してしまい早々と退散してしまう者、等色々といる事と思います。
しかしながら、なんと言っても一番多いのは、相手から好かれる人間になろうと努力する人でしょう。そして受け入れられず失恋してしまう人であろうと思うのです、ここに挫折が生まれる訳です。そこに挑戦がなければ挫折は生まれないのです。私は何事によらずこういう形で挫折する代表格のような者だろうと思います。
私は基本的能力がけして高いとは思えません。大学も学業の評価は下から3分の1ぐらいの所でしたし、テニスをしていても基本的運動能力が高いとは到底思えません。ただ少しはマシかなと思えるのはその物事の本質を見極めようとする心と、人が諦めると言いますか投げ出したくなる頃から発揮する粘り強さかもしれません。
最初の失恋の時(18才のときです)、「愛するとはどういう事か?」から始まり、「人生とは何ぞや」と追求し、円覚寺にて座禅を組んでくるといった変わり者であったわけです。とにかく自分が納得した結論が出せるまでは追及の手をやめないといった性格があるようです。何事も心の内に向けて進んでいく性格なのだろうと思います。
若いときは挫折から抜け出すのにかなりの時間がかかりました、ですが今はわりと早い時間で立ち直るような気がします。人生を生き抜く技術論的テクニックが上手くなったのであろうと思います。その分、苦しんでいる時間よりも楽しんでいる時間の方が長くなったような気がします。まあ年の功で人生を楽しんでいるわけです。
挫折したという行為を後から振り返って見ると、自惚れが生じてきている時期で、足元を救われたと言う感がぬぐえないのです。あの失敗の時はあんな風に自惚れていたな、この失敗の時はこんな風に自惚れていたな、と思い当たるふしがある訳です。ただ若いときは調子の良し悪しの起伏が激しく、挫折の壁も高いのであろうと思うのです。
年齢と共に起伏が少なく平たんになり、壁も低く早く抜け出せるのでしょう。とは言いながら壁を抜け出したと感じたとき何か自分の中に変化を感じ、今までの自分とは違った何かを感じる気がします。そんな時又新たな喜びに向かって進めるような気がするのです。