生命体としての競争原理

 地球上のあらゆる生物は何らかの形で戦いというものを強いられているわけです、どんなに小さな微生物までこの原理から逃れる事は出来ません。その固体自体が生き延びようとする能力と、種族を伝達に残そうとする能力が相まって、生態系が出来ているわけです。そして人間とて、その例外にはなりえないのです。

 過去、人類は地球上で特別な存在だと言う意識が強かったように思います。別な言葉で言えば、はなはだ思い上がりが強かったように思えます、結果生物の共存と言う道から外れ、独断的な生存の仕方をしてしまったような気もします。人類は何事も追及する事が好きのようで初期は大変な効果をもたらすのですが、何事も行き過ぎてしまう傾向にもあるように思います。

 人類はまず精神文化が華やぎました。一固体としての力は弱く集団で生きるという選択をした人類にとっては、強いものへの恐怖が一番強かったのでしょう、それが信仰と言う形になって表れたのだと思います。初期は自然への恐れから山の神として奉り、また強い動物が信仰の対象であったようです

 その後、信仰は宗教として大きく発達し、人類には無くてはならないものになったのは明白な事実でしょう。人間の精神文化の基本として宗教と哲学は大いに貢献した事は何方も否定できない事実だと思います。かなりの長い時代において、生きることへの基本として人類を導いてきたのは事実と思います。

 その後、発達したのは化学でしょう。その原点になったのは戦争という戦いであったわけです、戦争のたびに化学は大きく進歩しました。色々な不幸もありましたが、生活を便利にしたのも又事実です。化学の発達と共に生まれてきたのが合理主義という思想です、これはそれまでの宗教とか哲学と表面的には相反する部分が多かったようですが、我々の生活の基本になった事だけはまぎれも無い事実でしょう。

 化学も合理主義も現状の環境では頂点に達し、飽和状態のようです。地球という環境から人類が脱出し、宇宙というレベルで生活を考えられる時代になれば、また新たな発想が生まれ、人類の生き方の基本が新たな思想に導かれる事になるのかも知れませんが、そうなるまでの時間は現状の地球環境での模索の時代だと思います。

 化学の進歩による解決に依存した合理主義(楽したい)からの生活体系から脱却し、再び精神文化に依存して、地球環境の秩序を重視した生活を営む必要性を求められている現状だと思います。太陽系の星で唯一生命体が存在する環境であるならば、地球も一種の生命体なのでしょう、その健康が危機に瀕していると言えるのでしょう。

 人も健康管理という事が一般に広まってきたようです。肉体だけではなく、その肉体を維持する原点の地球の健康管理に目を向けなければならない時なのでしょう。生命体はいつか死という形で滅んでいくものかも知れません。宇宙という大きな枠で見れば、地球とていつかは死という現実で滅んでいくのかも知れません。

 生命体は多かれ少なかれ時間という制約の中で、何かを感じ、何かを喜びとし、何かを生きがいとし、そこから生まれるであろう目的とやらを模索しながら、時間というものを消費しているに過ぎないのかも知れません。そうしてその真っ只中にいるときは、目の前の事柄に追われなんの意識も無いまま過ごすのでしょう。台風の目の中にいるように。

 しかしながら、視界の外にちょっと目をやると、地球が問題の山積みになっている事に多くの人は承知している事と思います。海洋汚染から始まる環境ホルモン問題、大気中のCO2の増加による気温の上昇やオゾン層の破壊など、言い始めればきりがないほどの問題が山積みされています。これらはすぐに人体に影響のある事柄でしょう。

 これらの問題の原点は楽をしたいという合理主義がもたらしたものでしょう、合理主義の行き過ぎの結果だと思います。まずこれを修正しなくてはならない時期なのです、いえもう遅いぐらいかも知れません。しかしながら怠惰になった人の心と言うものは、なかなか修正に応ずる気持ちになれないようで、進み方は緩慢この上ありません。

 民主主義というものもこの問題に関する点ではマイナスに作用しているようです。精神文化において現代人はそれ程高級ではないのでしょう、多数決では合理主義に軍配が上がり、地球の健康管理はなかなかはかどりません。最大多数の最大幸福を原点とした民主主義が曲がり角に来ているのは紛れも無い事実のようです。

 歯医者の現役の頃、健康管理を力説しました、歯医者は虫歯の患者さんがいてこそ成り立つ職業です。ですから究極は自分の職業を否定する事につながるわけです、それをわかっていながら行動していました。でも正しい事であり真実であるわけです。多くの場合、他人の不幸に付けこむ事から、職業として成り立つ事が多いのです。

 競争原理の原点は相手の弱点をつく事から始まるわけですから、当然といえば当然な事かも知れません。ですがいまや単純な競争原理では、どうにもならない現実を迎えつつあるように思えるのです。地球全体が共存の時代なのでしょう、人間の力というものが地球を破壊しつつあるということなのだと思います。

 人が自分の健康管理が悪く病気になったように、人類が地球上での生物の共存という事を怠ったために、地球の健康を害し始めている事はまぎれもない事実でしょう、それもかなりの重症であるようです。健康管理とはまさに精神文化そのもののような気がしてきました、自分を律する事から始まるように思います。

 ほんの十数年前までは水を買うという気持ちにはなれませんでした、ところが今はペットボトルでガソリンより高い水を買い飲んでいるのです。数十年後は当然の事として酸素を買い、精製された空気とやらをボンベ等で持ち歩いて生活する時代が来るのでしょう。そして人類は当然の事として受け入れていくような気もします。

 人類にとって自らを律し、他の生命体と共存し、地球の健康を取り戻すという事は限りなく不可能に近い事のような気もします。地球という時間でとらえれば、そこに生命体が存在する事はほんの一瞬のささやかな出来事なのかも知れません。人もいつかは死を迎えるわけですから、「生きられるだけ、生きれば良い」という考え方も成り立つのかも知れません。

 


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