リーダーが動きにくい時代です

 現代のように個々の生き方が出来る時代は変化が激しく、その変化に速やかに対応していく判断が大切なわけです。そしてそれは時間との戦いであることが多いわけです、遅れてしまっては意味が無くなるどころか、大変な損失をまねく事さえ出てくるわけです。そのためにはリーダーにかなりの強さが必要とされるわけです。

 中小企業の社長を考えてみてみて下さい、まさにリーダーシップをとっていると思います。船にたとえれば小さなボートの船長でしょう、横波を受ければたちまち転覆してしまうでしょう、ですから舵取りに必死なわけです。ただ小回りが利くという有利さをフルに回転して物事に対応していく事が必要なわけです。

 リーダーとはある程度独断と偏見を持って進みませんと物事を進める事は出来ません。現在稼動しているシステムというものは、たとえ現状に合わなくなってしまっていても、そのシステムの存在で生活している人が必ずいるものなのです。結果、そういった人達を切り捨てることになるわけです、前進しようとすれば必ず被害を受ける者もいるのです。

 ですから、そういった人達からはかなりひどい罵倒を受ける事でしょう、ひどい場合は命すら狙われるかも知れません。そういった事柄を全て覚悟の上で事に当たらなければならないわけです、軽薄な虚栄心でも、目先の欲のためだけでも、進められる事柄でもありません。大きな展望を持ってこそ可能というものです。

 改革とは汗を流さなくてはなりませんし、ひどい時は血も流さなくてはなりません。ですから穏便になどと済むわけが無いのです、多くの人が幸せになるために少数の犠牲はつきものなのです。少しずつ変化させていけば良いのですが、それがなかなかそのようには事が運ばないものなのです、変化とは思い切って急変しないと進まない事が多いのです。

 リーダーには多くの条件が必要とします。まずは先を見通す先見の目が何よりも必要でしょう、そしてそれに則った構想がなくてはなりません、それを表現する実行力も伴わなくてはなりません。その上他人の協力を得るために人に慕われる人格をも兼ね備えなくてはなりません。これだけでも満たす人はなかなかいないと思います。

 できることならば私欲を捨て、公のために身を捨てる覚悟のある方であれば、なお素晴らしいわけです。船の船長は自らの意思でなれます、会社の社長も自分で会社を設立すれば良いわけですから、これも問題ありません。しかし、政治家のリーダ−はその様なわけにはいかない様です、他人に選ばれなければ成れません。

 ここが問題なのだと思います。リーダーは独断と偏見が必要だと申しました、多くの場合、皆が賛成する事を行っているようでは、リーダーとして失格である事が多いのです。多くの人の反対を押し切って進んでこそ、成功する事が多いのも現実であると思います。最も簡単な例は税金でしょう、少なくすると言えば皆賛成するでしょう。

 選挙公約という言葉があります。一昔前は守られない事の代表のような約束事でした、現在はもはやそういった話題にさえならないという事かも知れません。ようは選んでもらうためには手段を選んでいる余裕すら無いという事なのでしょう、ですから選ばれた方も何処か心に後ろ暗さが残るのであろうと思います。

 個人と国家とは究極には利害が一致するのですが(国家なくして個人はない場合が多いです)、目先は利害が相反することが多いのです。先に述べた税金に関して国家は多くを望むでしょうし、個人はより少ない事を希望するわけです。選挙という事になりますとどうしても国民にゴマをする形におちいり易い事はやもう得ないと思います。

 今の日本の現状で将来を見据えた改革を実行できるリーダーを選ぶという事はほとんど不可能に近い事といえると思います。民主主義というものは主権在民という事ですから、国民が何を求め何を考えているかという事が基本に成るわけです、人は基本的に将来の楽よりも、たとえ将来が辛くとも今の楽を求めるでしょうから、改革というものは不可能となるわけです。

 痛みを伴う改革などというものを選挙民が受け入れるとは到底思えません。今のマスコミの対応を見ていましても、リーダーになろうとしている人は我々国民に何をしてくれるのか?という問いかけしかしていません。何をしてもらおうという意識でもなければ、何をさせたいと事柄さえ浮かんできません。ただ一方的にしてくれるか、という要求のみです。

 今は国民の多くが社会依存型になりつつあるようにすら感じます。主権とは自ら全体を考え私欲を捨て公のために身を捨ててこそ成り立つ事であるはずです。その主権者たる在民すなわち国民が国の事を考えずに、自分の事すなわち私欲に走ったら、国家というものが成り立つのでしょうか?私ははなはだ疑問に思っています。

 多くの人が、誰がリーダーになっても同じだと言っているようです、そしてその通りだと思います。国民の私欲を満足させる事ができるようなリーダーは生まれるはずがないのです。過去にそれに最も近いリーダーであったのが、東京都知事であった美濃部氏であろうと思います。まさにお金をばら撒きゴマをすった人です。

 彼は3期12年という長い期間都知事の座にいました。その間道路の行政はほとんどしていません、その後の交通渋滞のひどさの大きな原因になっています。その遅れを取り戻す事は出来ないでしょう、大変な経済効率の悪さを作り上げてしまったわけですし、永遠と人々への迷惑が続くわけです。これはほんの一例で挙げれば切りがありません。

 国家のリーダーともなれば、その影響は知事と比べる事自体無理と思えるぐらい大きいでしょう。将来の国家の状態は現在のリーダーの構想力にあるわけですから、その責任の程ははかり知れないものがあります。

過去において吉田茂は独立国家を目指しサンフランシスコ平和条約を結び、池田勇人は所得倍増論を、又田中角栄は日本列島改造論を唱え経済を活性化させました。沖縄を返還させた佐藤栄作も恩恵を受けている事柄でしょう。批判は色々とあるとは思いますがそれなりの成果はもたらしたリーダーと言えると思います。

将来の日本をどのようにしようとしているのでしょうか?リーダーにも、マスコミにも、又国民にもその構想が見えません。それが一番大切な事と思うには、現代は今を求める力が強いという事なのでしょうか。明日はさておき、今を楽するという事ですか。


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