米潜水艦の衝突事故について

 大変に残念な事故であるという事は大前提の話しですが、これは国内の事故では無く外国船との事故ですから、あくまで外交問題として考えなくてはならない事柄であると思います。それにしてはあまりに感情的になっており、はなはだ日本人的な発想で行動しているように思えてならないのです。

 外交問題として考えるならば、最高責任者のアメリカの大統領が表に出て正式に謝ったわけですから、これ以上の行動は無いと思うのです。遺族の気持ちを思えば、潜水艦の艦長が公式の場で土下座して誤れと言っているのも、わからないでもないですが、国と国の問題となればそれは無理な事と考えた方が良いと思います。

 日本人は不幸な事故というものが発生した時、感情に流されて冷静な判断を誤り、結果より不幸な現実をまねいてしまうことが、昔から多いような気がしてならないのです。現代の私たちの生活には事故はつきものだと考えていた方が懸命だと思います、もはやどちらに責任があるという事を通り越して身近なものになっているのです。

 私たちの今の生活は文明というものから離れて行動するなどという事は考えられません。文明の原点は火を使う事から始まったのかもしれません、これは人間にとってマイナスになっていた部分を、工夫する事によってプラスの部分に変えた事なのです。ですから一つ間違えば焼死する事態も常に付きまとうわけです。

 文明というものが進めば進むほど、個人の力ではどうにもならない状態になり、まさに個人の危機管理能力を超えた状態での生活にどっぷりと浸っているのです。もはや何をするにも危険と背中合わせの状態の中で、自己の能力を超えた所で、他人に安全というものを委託し生きている、という現実を認める事だと思うのです。

 もはや人は文明を離れ、個人の危機管理能力の範囲の中で生きる、などという事は不可能でしょう。人が生物として生きるという選択を求められた時、楽に生きるという事を選択してきた結果だと思うのです。楽に生きるという事は合理性の追求であろうと思うのです、今の生活は合理性の追及の結果生まれたものなのです。

 ですから、事故というものが不幸にして起きてしまった場合、我々に一番必要なことは合理的に振舞う事であろうと思うのです。感情に押し流されず冷静に行動していく事が一番に求められる現実であると思うのです、事実をしかと受け入れながら現状の中のベターを合理的に追求すべきなのです。

 日本人は感情が先にきているように感じるのです。それはある意味では心というものを大切にしている結果とも言えるのかもしれません、昔から情緒と言葉を好み和歌を愛し、四季折々の風情を楽しんできた大和民族の誇りと言ってもいいのかもしれません。個人として生きるには大変に素適な感性だと思います。

 しかしながら合理性を追求した社会で起きた事故というものに遭遇した時、これははなはだマイナスな要素になってしまっているように思うのです。現状の中の合理性の追求とは、まず出来る事と出来ない事の判断であろうと思います、もちろん出来る事への最善の行為というものを冷静に判断する事ではありますが。

 日本人が感情というものに流されて行動していると感じた時、真っ先に頭に浮かぶのが太平洋戦争の事なのです。日米開戦以前は全てのマスコミが駆逐米英と騒ぎ立て、戦争遂行に多いに協力的であったのは事実です、マスコミが感情の最先端で先導して行ったように思えてならないのです。

当時はもはや中国と戦争状態にあり事故の真っ只中であったわけです。最も冷静な判断が必要な時代であったと思うのです、科学的に分析し戦争というものへの最も合理的な解釈が必要な時代であったと思うのです。それをまさに感情のまま走ってしまったのではないでしょうか?

最も不幸なことは、昭和18年ごろの航空母艦によるところの艦載機の戦いにおいて敗れ、事実上の戦いは終わったのです。戦争などという最も合理性の追求が必要な事柄においてさえ、感情に走り無意味な戦いという行為を続けて、より悲惨な結果をもたらしてしまったように思うのです。もちろん私の生まれる以前の事柄ですから、想像でしかないのですが。

沈んだ船を引き上げる事にどれだけの価値があるというのでしょう。中で生存している可能性があると言うのなら別ですが、そんな事は考えられないでしょう。莫大な費用(どのくらいかかるのか知りませんが)をかけて引き上げる事にどれほどの合理性があるというのでしょう。それよりも保証金としてお金で頂く方がよほど合理的であり、役に立つと思うのですが。

お金というものへの考え方も、合理的にとらえていくべきです。人間が失敗した時の解決方法として、一つの立派な解決方法なのですから。もちろん、金さえ払えば良いなどと言っているわけではありません、この場合大統領が正式に謝罪をしているわけですから、それを受け入れ感情的にならず、もっと合理的に解決すべきです。

もはや私たちの生活はお金で解決しながら生きているのです。お金で食料を買い、他人のサービスを受ける、また自分への報酬もお金を頂く事によって解決をはかっているでしょう。お金が無ければ一時も過ごせない世の中になっているではありませんか?これは全て生活というものを合理的に便利にしてきた結果なのです。

こんなに大きな事故でなく、私たちの身近なところで起きる事故に対しても、それぞれ個人が感情的にならず、冷静に合理的に対応する事が必要な気がします。ましてや国家間の問題ともなれば、なおさら感情を捨て合理的に振舞う勇気というか知恵が必要なのだと思うのです。

マスコミにも一考をして欲しくはありますが、しかしながらマスコミとは国民が好む流れの方にいくものでしょう。そういう意味では国民の意思の表れと言ってもいいのではありませんか?歴史は繰り返すといいますが、もうそろそろ事故の時の対応に成長の跡が見られ、「生活の知恵」がついてもいい頃だと思うのですが。

 


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