ささやかな事柄(その2

 これはもう少し前で6年ぐらい前かも知れません。当時は若者がよる集まるクラブというものが近所にたくさんありまして、土曜日と日曜日の朝5時頃は路上に若者があふれました。そうして6時30分になりますと、近所の公園に70歳前後の方々があふれるのです。この現象の比較が面白くて興味を持って観察していた事があります。人間幾つになっても集団を組んで慰めあう者かもしれないなどと思ったりもしたものです。

 私は朝5時頃、犬を連れて散歩に出かけるのです。そうするとこのクラブと称する所から出てきた若者と出会うわけです。夏の終わり頃だったと思いますが、通りに面したコンビニの前の路上に軽食を食べながらたむろする45人の1718歳ぐらいの少女がいたのですが、私がつれている犬について話し掛けてきたのです。

 通りを犬と散歩していると犬に関して話し掛けられる事は日常茶飯事でしたので、別に戸惑う事無く色々と話をしていたのです。犬の年を聞いている間は良かったのですが、突然「ところでおじさん幾つ、おじさんカワイイ」と言うではありませんか、ビックリして舞い上がってしまいしどろもどろです。再び「おじさんカワイイ、幾つ」というではありませんか、何も言えずその場を立ち去ってしまったわけです。

 幾つの方であろうと女性の方からかわいいと言われた経験はありません、ましてや1718歳の少女です。いやもっと年下かもしれません。50歳近い男としては舞い上がるのに十分でしょう、別にからかわれているという感じはありませんでした。けっこうマジになっていってくれている感じが伝わったのです、ですからなおの事舞い上がったのでしょう。

 犬の散歩を続けながらも、もう一度戻ろうかなどという気持ちを持ったり、思わず微笑みがこみ上げたり、その場を見かける人がいたら、こっけいな中年男に見えた事だろうと思います。とは言いながらもいつものコースを犬と共に散歩しながらいつもの公園に行き、6時30分のラジオ体操の方々に挨拶をして、帰ったわけです。

 その晩の食事の時に、家族にその話をしながら、かわいい少女に「おじさんカワイイ、幾つ」といわれたけど、幾つにみえたのかなあ。と、聞いたわけです。大学生の息子に一笑のもと「バカだなあ、おやじ、405060も皆同じオジンなだけで、変わりはしないのだよ若い子には」と言われたわけです。その上「今度あったらどう答えたらいい」の問いに「今度なんて無いよ」の一言です。

 それからというものは土曜と日曜の朝は同じ時刻にその場所を通っているではありませんか、その辺は幾つになっても男なのでしょうね、かなり期待していたと思います。やはり今度という事はありませんでした、女性にかわいいと言われる経験を再びする事は無く、人生で唯一の一回だったのでしょう。この少女達の顔も思い出す事が出来ません。

 先日のバレンタインデーの日にテニスクラブのロビーで、大きな箱の中からチョコレートを一個頂いたのです。ありがとうの後に、「今日いただける唯一のチョコレートかも知れない」と言いながら、チョコレートにはほとんど縁が無いけど若い女性から「おじさんカワイイ、幾つ」と言われたことがあると、少々自慢下に言ったわけです。

 そして、先に書いた事を、後に気にしながらその所を通ったけれども又は無かった、と言う事まで話したわけです。「なーんだ、おまえはカワイイと言われて喜んでいるのか」と大いなる非難です、大爆笑の中で。しかしながら色々と話しているうちに、それではカワイイと女性から言われた事があるのか、という事になったわけです。一同静まり返ったわけです。

 ほら、私の金字塔ではないかと言う事になり、又も大爆笑です。昔は若かった男女が多く集まったロビーでのほんのひと時の出来事です。そんな事で喜んでいるのかと言う言葉の裏に、ささやかではありますが男の闘争本能を垣間見た気がしたわけです。ほとんどの男にカワイイと言われることは高度な誉め言葉に映った事だけは事実のようでした。

 人は冗談のように話、バカを言っているように見せかけながら、けっこう本音を言っているように思うのです。それがお互いにあまり傷つかずに言い合える生活の知恵なのかもしれません、それとなく伝え合う伝達方法としてはかなりに高度な能力と言っても過言では無いと思います。特に日本社会の玉虫色という生き方にはぴったりな行動なのかもしれません。

 「おじさんカワイイ、幾つ」と堂々と言ってくれた少女に対し、「いや、君の方がずうっとカワイイよ」と言いながら、堂々と名刺を渡せる自分が今はいるのだがなあ、と思う今日この頃であります。覆水盆に帰らず、時間はもどりませんね。


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