お金を稼いだ話(其の六)

  続きです。

  この診療室だけでは自分の修行の場と言うか、勉強する所がありません。それは30歳の頃に開業したときに感じていましたので、このときはもう一つ診療室を作り、まるで違った形で治療行為をしていました。保健所や税務署にはきちっと登録はしましたが、看板は一切出さず、長年拝見した患者さんや、その方からの紹介の方しか拝見しない診療室で、健康保険は一切やらず全て自由診療費で行い、口の中全体を長期的に拝見する事を条件に治療行為を行いました。

あるグループ企業が管理する診療所に勤務したとき、夜だけ自宅の一室を改造した診療室で診療をした事を述べましたが、この流れが看板を出さない診療室になっていきました。

  この欄の前の方で東名高速で通った病院のことを書きましたが、この時自宅を立て直す事を計画し、建築にかかってから、この病院をやめる事になったのです。私もまさか一年でやめる事になるとは思っていませんでした。

  ですからこの診療室を開院する事と、自宅を立てる事が一緒になってしまったのです。診療所の方針は前もって経験しているとは言え、ずいぶんと大胆なことを行ったわけです。ですが経営は大変にうまくいき何も問題はありませんでした。

  この自宅の診療室は逆に診療室という雰囲気はまるで有りませんでした。客間の隅に歯科の器械が置いてあるといった雰囲気で、ここではコストを考える事無く治療に取り組み、かなり高額な医療費を頂きました。ですから診療内容は本にして社会に発表できるようなことばかりでしたが、そういう事にはまったく興味が無く、これから行う医療行為の方にばかり気持ちがいっており、過ぎた事を振り返ることはしませんでした。

  今にして思えばこれは大変な間違いだったと思います。自分が行った事を社会に発表し認められてこそ、経済的効果が有るという事を気がついていませんでした。この頃自分のおこなった治療内容を本にしていれば、私の人生は違った形になったかも知れません。

  私が一番印象に残っている方を一人紹介しましょう。人の出会いと言う欄で述べた事のある看護婦さんだった方の紹介で、浦和から片道2時間かけて車で来院していました。

  初診の時は一本の歯しか噛み合ってないのです。まだかなりの歯が残っているのですが、上下で一本ずつしかあたってないのです、ですから顔は歪み惨憺たる状態でした。ほとんどの歯は歯医者が手をかけ自然の姿の歯はほとんど無いといった状態だったのです。これはまさしく歯医者が壊した歯列と感じないわけにはいきませんでした。本人が申すには人の紹介で名医と言われる歯科医を選んでかなりの方に診療を受け、五百万は支払っていると言っていました。私の感じでも納得できる状態でした。

  何はともかくかり歯を入れ噛める状態にしました。でもそれだけでも6ヶ月はかかったと思います、何せ顔が歪んでいるのです、その歪みを修正するのが一苦労でした。かなりの長期にわたってそのような状態を作り上げたわけですから、骨も多少変形していたでしょうが、筋肉のやせ方がひどかったのです。

  将来筋肉が回復するであろう状態を考慮しながら、交合(かみ合わせ)を作っていったのですが、その辺は学問ではありませんでした。単に職人としての今まで培ってきた勘以外のものではありませんでした。でもその辺まではまあ何とかそれ程の苦労も無く出来たのです、問題はその後でした。

  歯周病(歯ぐきの病気)の治療に入ってからです。とにかく最初は歯ブラシです、これ以外に行なう事が無いのです。こんな治療行為はものの5分で終わってしまいます、片道2時間往復4時間をかけて来院するわけですから、私も困ってしまいました。

  もちろん、その時までに歯ブラシの指導をしていなかったわけでもありません、ただ私もとりあえず噛めるようにする事だという意識の方が強かったんだと思います、あまり進んでいないというのが正直なところでした。私もまさか5分で終わらせるわけにもいかず、ごまかしながら30分ほどかけましたがそれが限界でした。今ならば考えられない事柄でしょうが、人間の生活習慣とは恐ろしいものです。

  一週間に一度来院して頂いていたのですが。半年もそのような事を続けると、さすがにお互いに悩んでしまい、この辺で妥協して先に進みましょうか?と何回か申し出た事がありましたが、その時私の顔がなんとも言えない複雑な顔をしていたらしく、「いやも少し頑張ります」という言葉しか言えなかったとは、患者さんの後日談です。

  でも一年で私が納得するような状態にしてくれ、後は何の問題も無く無事終了することが出来ました。それ以来二十年近くなりますが、私を何の必要とする事無く過ぎています。もちろん多少のかみ合わせの調整はしていますが。

  今度はこの診療室での失敗例です。

  私が企業内診療所に勤務していた頃だと思いますが、自宅のそばに焼肉屋さんがオープンしたのです。おいしいお店だったのですが、開店して6ヶ月ぐらいはお客さんが少なくガラガラだったのです。子供も小さかったですし家族四人で食べる量などは微々たる物なのですが、私も開院してヒマという辛さを嫌というほど味わった経験から、応援する気持ちでよく利用していたのです。

  我々がお邪魔して二時間ほどの間に客が来ず、我々だけなどという事もしばしばでした。そんなことをしているうちにその店のオーナーと非常に親しくなり、我が家にも遊びにくるようになったのです。そのうちに店が大変に繁盛するようになり、プロ野球の選手や芸能界の方が大勢みえるようになったのです。これも縁なんでしょうね。

  その店の常連客だったあるプロダクションの社長を紹介され、患者さんとして来院されたのです。それが始まりで芸能界の方の診療をすることになったのです。

  失敗という結果に終わってしまった方もかなりの有名な方でした。先ほどお話した方ほどひどくはありませんでしたが、歯周病の方が深刻でした。普通の方でしたら当然の事としてかり歯を入れて治療していくのですが、芸能界の方という事で審美性を考慮し、最終的に装着するものを作ってしまったのです。私はあくまでかり歯のつもりだったのですが、これが失敗の原因になってしまいました。

  その後の歯周病の治療はうまく行きませんでした。かなり難しい状態ではあったのですが、自分自身のおごりもたぶんにあったように思います。うぬぼれが失敗の原因だと思います、一言で言えば慎重さが足りなかったんだと思っています。40歳を少しまわった頃だと思います。

  前回の子供の治療の件で一つだけ忘れたことがあります。子供の治療の基本はいかに大人の歯列(歯並び)を作ってあげるかという事です。そのために乳歯を早期に抜歯したり、乳歯を削ってあげたりしなくてはなりません。これははなはだ少ない症例ですが永久歯を抜歯する事もあります。歯列矯正で抜歯する事がありますが、それを子供の時に行なえばひとりでに綺麗な歯列が出来上がるわけです。

  これで歯医者の話は終わりにします。


戻る