お金を稼いだ話し(其の五)
続きです。
小児の歯科診療に対しては大変に嫌がられていた時代です。この辺も今では考えられない事柄でしょう。この欄の最初の方に小児の診療には積極的に取り組みたい意思は十分にあり、特に予防歯科への興味が多くありました。
正直なところ、診療そのものはそれほど問題はありませんでした。ただ根気良く気長に取り組む事だけが必要な事でした。歯医者に初めて来院する子供もなぜが泣いて嫌がるのです。母親が日常生活の中で歯の治療のいやな事をいろいろと言っていたり、あるいは脅かしの材料の使っていたようなのです。ましてや一度歯の治療の経験をし、痛みを味わった事のある子供はなおさらの事でした。
私の治療方法はけして無理すること無く子供が同意するまで治療行為は行わないという事です、ですからその旨あらかじめ母親には伝えてありました。診療椅子の寝かし子供を説得するのです、子供の同意を得るという事がなんと言っても大切な事でした、「先生お願いします」という言葉を言うまで説得し続けるのです。いやだと言って3時間泣き続けた子供がいました、これが最長時間でしたが。ただ絶対に診療椅子からおろす事だけはしませんでした。
一回目の診療の時はどんな事があっても痛いことはしませんでした、それは子供との約束だからです。ただし必ず治療行為は行ったのです、たとえその治療行為があまり意味の無いことであってもいいのです。一回目は痛くなく治療がすんだという事大切だったのです、後は飲み薬を与えてごまかしました。ですからさほど痛みが取れない事の方が多かったと思います、その旨母親には十分に話したしました。
問題は二回目です。痛みが取れてしまった子供の方が後々やっかいだった事の方が多かったと思います。痛みが取れなかった子供に対しては、先生は魔法使いでは無いから自分ひとりでは出来ないのだ、あなたの協力があってこそ虫歯菌をやっつける事が出来るのだ、と頑張る事を求めるのです、この説得が又大事でした。
この時は痛くしないという言葉は絶対に使いませんでした。多少の痛みは必ず与えるのです、痛くなくという事はほとんど不可能なのですから。ですから頑張れる範囲でと言い、頑張ってくれと励ますのです。子供はたいてい「痛くしないか」とたずねます、私は「痛くしないでは出来ない」とはっきりと答えます、ここが又根気のいるところなのです。
ここで又約束をします。痛いのを頑張れ無くなったらやめるからと、そして合図の約束事を決めるのです。私は左手の肘から先を上げさせました、基本的には患者さんの右側に位置して治療するわけです、ですから右手は視界の外にあるわけですから、動かされると危険なのです。動かして良いのは合図の左手の肘から先だけという約束をするのです、その代わり押さえつけて診療するという事は絶対にしませんでした。手足は自由にしてありました。
実際の治療行為に入りますと、何でもないうちから左手を上げる子供がほとんどでした。私が本当にやめるかどうか試している子供もいれば、歯を削る機械のあの金属音を聞いただけで耐えられなくなる子供もいたと思います。でもとにかく左手が上がったら中止です止めなければなりません、そして又説得です、そうやって少しずつやっていくのです。
とにかく大切な事は「うそをつかない」「約束を破らない」ということでした。ですから母親の協力も絶対に必要でした。先生は痛くしないとか治療内容の事には一切触れないでくれ、ただ励ますようにだけしてくれと頼み、うっかり痛くしないと言ってしまった時は申し出てください、その時はそのようにしますから、とくれぐれも頼みました。子供にとって母親は絶対ですから、母親が痛くしないと言っているにもかかわらず、私が痛い行為をした場合は、私がうそつきになってしまうのです。一番恐れたのはこの事でした。
子供にどうやって信頼してもらうかが全てでした。一度その信頼関係が出来上がってしまえば、成人の治療行為より数段楽でした。こちらがびっくりするぐらい我慢強く頑張ってくれるのは子供でした。見栄も外聞もなく世間体などというものに惑わされない、正直な心だからこそ出来る行為なのだろうと思います。
五回目の来院ぐらいになりますと、ほとんどの子供が「先生お願いします」といって、さっさと治療椅子に座るようになっています。最初の三回ぐらいを根気良く行えばすむことでした。逆に私が人の信頼を得るという事がどんなに大切かという事を教えられた気がします。
子供の治療はそれほど悩みませんでした。問題だったのは健康管理だったのです、簡単にいえば歯ブラシ指導でした。それは母親の教育が主な事柄だったのです。子供に対する父親の対応というのは人生の総論と言うか、日常生活のこまごまとした事では無く、生き方みたいな事柄を話しすることの方が多いわけです。ところが歯ブラシというのは日常生活の手を洗ったか、顔を拭いたか、という事で、父親が子供と接する時の行為とはかけ離れているのです。
指導とは言いますが、基本は共に悩んで考える事なのです。ですが私にはどうしても母親と一緒になって悩み考える事が出来ないのです。基本的にわからないのです、所詮学問的な押し付けになってしまう自分に生きずまりを感じずにはいられませんでした。
母親のことは、母親でないとわからない、という結論をださざろう得ませんでした。結局家内に頼み、力を借りるしか方法がありませんでした。幸い家内は歯医者の娘でしたので多少の知識もあり、仕事の内容については私が教えればそれほど問題はないと思ったのですが、大学を卒業して10年も経っていた頃ですから、もう一度専門学校に行き資格をとると言う事がいかに大変な事かと言う事もわかっていました。
子供が1年生と3年生のときです。幸い子供を見てくださる女性が見つかり、一緒に暮らしたのですが、本人は東京の中心部から横須賀まで通ったのです。18歳の若い女性に混じり30過ぎの女が机を並べたのですから、大変だっただろうと思うことは想像以前のものだと思います。
でもとにかく資格をとって助けてくれました。さすがに母親の指導は抜群でしたし、母親からの信頼は大変なものがありました。しかしながら成人の生活指導を任せられるようになるまでは5年の歳月が必要でした。でもこの戦力は大変なものがありました。
歯周病の治療は(はぐきの病気です)歯ブラシの上手な使い方が基本なのです。多くの場合それだけで治癒してしまうこと子方が多いのです、ですがその変化を観察していく事が大切なわけです。その変化を記録する事など出来ません、頭の中の記憶しかないのです。その仕事を奥さんに任せておけるという事は大変な事なのです、頼んで働いてもらっている人では辞められたらおしまいです、ですから任せるわけにはいかないのです。そんなわけで家内には大変に感謝しております。今は事業家になり、事業家の奥さんとしてははなはだ不満の点も多いですが、この時期の協力の事を考えればそれはもう我侭という物だと思っています・
この時期にもう一つ平行しておこなっていた事があります。
次回にします。