お金を稼いだ話し

体を張ってお金を稼いだ時の話しです。

大学の先輩に誘って頂いた診療所に勤務しながら、どんな形態の歯科医療をする事が自分に一番的確かを模索し続けたのは33才の頃です。

このままこの診療所で一生を終わるか、又、せっかく巡り会った技巧士さんと医療チームを組み、多くの患者さんに歯科医療行為の出来る環境を、みずから作り上げる事を求めるかを迷いました。角度を変えて言えば、生活の安全性を重視して生活するか、新たな環境を求めて果敢に挑戦するかと言う事です。その辺は性格の問題だろうと思います、最終的には挑戦する事を選択しました。今は事業をしていますのでその頃からそういった性格は変わってないのでしょう。

歯医者という職業を選んだのは安定性を求めてなったという事を、前に書きましたが、この辺から間違っていたのかもしれません。分かれ道で選択の必要性が生まれた時は必ずといっていいほど、果敢に挑戦する棘の道を選んできたように思います。この辺が性格であり生まれつきの本能と言ってもいいものの様な気がします。

20年も前の事です。健康保険の医療体制も今よりはかなり劣っており、保険では十分な治療行為が出来ないと公に言われていました。私もその様に考え言いもし行動もしていました。その考え方を徹底的に叩いてくれたのが巡り会った技巧士さんでした。私の医療行為の時間を徹底的に短縮する事を叩き込まれたのです。

具体的な話しをしましょう。歯を削る器械をタービンといいますが、このタービンは非常な高速で回転したいへんな勢いで歯を削る訳です、5分間も歯を削り続ければ無くなってしまうと言うのです、ですからどんなに難しい形に歯を削るのであっても5分以上かかってはいけないと言うのです。理屈ではわかりますがこれを実際に表現するには並大抵な事ではありません、でも技術とはそうしたものかも知れません。歯の型を取る事から始め、治療行為のあらゆる事柄の確実性と速度を上げる事を訓練させられたわけです。5分とはいかないまでもかなりスピードを上げた事は事実です。

健康保険の医療体制を受け入れ保険医として自ら登録しておきながら、保険では十分な治療行為が出来ないと言って、否定するという事は矛盾している訳です。そこには経済と言う事が絡み治療内容とコストの問題、すなわち合理性と速度の問題となるのだと思います。でも現実はそういった事が多いのも事実でしょう。

速度については自分自身で解決できます、と言うよりも自分の問題です。しかし、合理性と言う事は大変に難しい問題なのです。感情の無いロボットならば機械的に精度だけを上げる事に専念すれば良いのです。しかし、人間はそうはいきません、それぞれの感性を大切にして喜びを与えるという事が最終目的なのですから。しかしながら患者さんの感性を私は基本的には無視する事にしました。その代わりそれを補うために回りの人すなわち補助者に助けてもらう事を考えたのです。

私は口の中の医療技術者に徹し、患者さんとの会話は極力少なくしようとしたわけです。説明は補助者に極力まかせ、その時間を治療行為に当てる事によって合理性を高め、コストを下げようとした訳です。もう一つ、道具はすべて補助者から手渡しで行いました、これは手の動く範囲を少なくする事で速度を上げようと言う訳です。手渡しの訓練は勤務していた企業内診療所で出来ましたが、説明の件は頭の中での構想でしかありません。そんな事を考えていたところに面白い話しがきたのです。

東名高速で1時間30分程の地方に病院を新たに建設しようとしていたのですが、地元の要望に歯科を併設するという条件があり、建設許可を得るにあたり歯科併設の条件を受け入れたらしいのです。当時はまだまだ歯医者の不足の時代ですから、遠くの勤務地まで出かける者も無くこまっていたようなのです。それもかなりの困りようらしく大変な良い条件で話しがきました。

自分が考えていた青写真を実際に行動してみる機会を得た訳です。まあ、他人のふんどしで相撲を取る機会を又得たと言う事です。歯科の診療室を自分の思いどうりに設計し気に入った器械を導入し、思ったとうりの診療形態を取り、経営コストの計算をする機会を得た訳です。見事に黒字を出す事が出来自分の発想に自信を得る事が出来ました。

1時間30分程車の運転をして、診療行為をする事は体力的に無理でした。運転手を自ら頼み通っても十分なほどの報酬を頂き良い待遇を受けていた訳です。しかし、1年間もすると経営陣の中に対立が起こり、私を招いてくれた方が退いてしまいました。結果、私もこの病院を退く事になんの障害は無くなった訳です。

1年間で診療形態のデータは十分でしたし、病院の回りの住民の方の歯科の治療行為はほとんど終わり、歯科の診療所の方は患者さんも少なくなり始めた頃でしたから、歯科の方で採算ベースに載せるのはそろそろ難しくなり始めた頃でした。ですから丁度良かったのかもしれません。あまり回りの方に迷惑をかけずに退く事が出来たようにも思います、これも程度の問題と言ってしまえばそれまでですが。しかしその辺の巡りあわせも不思議な気がします。

自分の診療形態の発想と診療室の設計に新たな修正を加え、自ら表現する場所を求め新たな開業地を探した訳です。面白い所が見つかりここではかなりのお金を貯える事が出来ました。

次回にします。


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