人類の過去の生活というものを振り返ってみると随分と変化に跳んでいる訳で、現在の一夫一婦制の結婚という生活形態も流れの中の一形態に過ず、今後は変化していくのではないかと思うようになりつつあるこの頃です。
結婚というものの大前提に子孫を残すという事が有る訳です。もちろん子供のいない夫婦も存在いていますが、これは例外といって良いでしょう。どうして子孫を残さなくてはいけないのか、子孫を残さなくても良い自由も有るように最近考えるようになりました。
250年以上も続いた江戸時代は人の生き方の参考になる重要な時間帯のような気がします。また最近の経済界も江戸に学べと言われ、拡大しない経済の参考にされているようです。
明治以降日本は近代国家になったと言われますが、明治政府の政策の原点は富国強兵にあると思います。今回は強兵の政策について考えてみたいと思います。まずは絶対数です、男の数が問題だった訳です。江戸時代の人口は3000万(調べていませんので正確ではありませんがこんなもんです)程だったと思います。人口を増やすために色々な政策をとったのでしょう、男も女も一人で暮らす事を極力嫌ったようです。もちろん法律を作った訳ではありませんが、結婚しなければ一人前の社会人として扱わず、社会的信用も与えず半端者扱いしかしないとか、ある程度の年齢の独身女性はそれだけで非難され、究極は親を非難するというような形で、社会的な圧力をかけたようです。
太平洋戦争の後も経済の拡大という目的の為に、核家族という名の下に新たな家庭を作るという事で、新たな消費を作った訳です。約40年強続いた拡大経済の終焉と共に、明治維新以後130年ほど続いた結婚という原則にも、変化が生じてきたように思えるのです。
江戸時代はかなりの数の独身の男性が存在したこの事です。数字を挙げるのは控えますがその数は男性全体の数十パーセントに及ぶはずです。人間の生活形態は必要性がそこにあってこそ生まれるように思うのです、男にとって子孫を残す必要性のない人達がそれだけ存在したという事に違いないのです。
まず、子孫を残す必要性のある人達を考えてみますと、自分の身分を伝える必要のある武士(長男に限定されると思う)、耕作地のある農民、鍛冶とか陶工などの特殊な技術、資産のある商人、などでしょうか。それ以外の人々は子孫を残しても良し、残さないでも良しという自由があったように思うのです。もちろん子供を作りたくとも経済的に作れないという人達もいたとは思いますが。
少なくとも一生独身でいても特別珍しくもなく、それほど生きにくいという社会的要因も、無かったのではないですか。ある程度の年配者になってもそれなりに働く所もあった様ですし、身の置き所はあったように思うのです。
現代社会においても、フリーターと称する若者が今を楽しむという生活を求め、結婚という子孫を残す事業から離れようとする行為が多く見られるように思います。確かに家庭を作り子供を育てるという大変な行為に対し、見返りがはなはだ少ない現状では、男にとって結婚がそれほど魅力のあるものでは無くなってきているのも事実でしょう。
結婚をして家庭を築いている人も、個人の持つ通信機器の発達により、家庭という集団よりも個々の生活の方が体制を占め、実質的には独身者と変わらぬ生活をする様な人が多くなるのではないでしょうか。
政府自体も、国民を総背番号制にして管理しようとしているのは、そういった現象を見据えての事と思うのです。
このメールを始めてかなりの数の若者と交流をしましたが、若い女性から、彼氏はいるけど結婚する意志は無いみたい、とか。男性からは彼女はいるけど結婚は考えていないなあ、どうして結婚をしなくてはいけないのですか、と逆に質問され答えに窮した経験もあります。
確かに子供を作ろうとして男女の交わりをする人の割合ははなはだ少なく、子供が出来たのは結果論の場合がほとんどと、考えた方が妥当かもしれません。男も多様化となり、恋愛、結婚、家庭といったマニアルも無くなり、男性に対する女性の対応も複雑になり、難しい時代になったのかもしれません。
生活の変化と共に人生観も変えなくてはいけないのだと、つくづくと思う今日このごろです。