10代の思い出(座禅について)其の三

続きです。

2日目の朝食です、前日と同じ食事なのに涙があふれてとまらないのです、美味しいとか不味いとかを超越して、食事を取る事の感動なのでしょう、溢れる涙の中で食事をしたのです。それが3日目、4日目となるにしたがって、不味いと思わずに普通に食事 が取れるようになるにしたがって、感動が無くなるのです。涙を流しながら食事をしたのはその一回だけでした。

4日目になるとその事にこだわるようになっていました、人は動物なのだ、植物のように自らの手で生きて行く事は出来ないのだ、動物が生きると言う事は他の生命体の犠牲の上に成り立つ事だと。そう思えた時なぜか心が落ち着き数息観に取り組む事が出来ました。

この頃になると座を組む事にもなれ、多少の痺れはあるもののそれ程苦痛でもなく、緊張の中にも落ち着いた生活を送れるようになっており、回りを見回す余裕も生まれたようです。ふと気がつくと自分の歯がすべて浮いているのです、座を組む痛みを耐えるために必死になって歯をかみ締めていたのだろうと思います。何事にも乗り越えなければならない壁がある、そうしてしばらくするとまた壁にぶつかる、と言うではないですか。最初は足の痛みを耐えるので精一杯、それを乗り越えたとたんに歯の浮きを感じた。そんな感じです。お昼の麦ご飯を食べるのが辛かった事を憶えています。

5日目は問答をしたいと思い問題を頂くために、必死になって数息観に取り組みましたが駄目でした。若いお坊さんも一緒になって座を組むのです。一日に一度問答の時間があり問題を頂いている人は必ずしなければなりません、別棟で行われるため良く分りませんが、いきたくないと言って駄々をこね引き摺り出される姿は良く見られました。かなり厳しいものだったに違いありません。問答は出来ませんでしたが、最後の夜をなぜか清々しい気持ちで休んだ事を憶えています。

今日一日生き延びるために犠牲になってくれた生命体に対し感謝できる日々を送ろう。そう思って円覚寺を出ました、門の前に定食屋さんがあり6日ぶりに白いご飯を食べました、美味しく頂きましたが涙は出ませんでした。現在は食事の際いにちいちそんな事は考えませんが、私の血の中に脈々と流れている事と思います。私は2月生まれなので20才の誕生日の頃の事です。

失恋をして一年も経たないうちに座禅を組みその様な気持ちになれました、でも始まりは失恋なのです。男にとって何と言っても大切なものは女性です、これほど心に影響を与えるものはありません。もちろん、その間に慰めたり励ましたりしながら、共に語ってくれた親友にも心から感謝してます。が、原因にはかないません。

地球環境の問題もなく、未来学などという学問も盛んで、未来はバラ色だなどと言っていたのんびりしていた時代の頃の話です。現代とはあまりに異なり参考にはならないかも知れませんが。

頭で考えても結論が出ない場合は行動してみると言う事は今でも行っています。前回のHPで述べましたが、歯医者で迷った時もとにかく体験してみようとして、行動したのもこの影響だと思います。

私の環境が許されたなら、今ごろはチベットの山奥を歩いていたかもしれないなあ、と思う事もままあります。

大学の方はガタガタで落第寸前でした。英語、独語、ラテン語の三教授は、最後に恵んで下さったのだと思います。感謝してます。


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