人との出会い(その三)

続きです。

私のみすぼらしい診療所に、私と同年代の女性が来院下のです、申込書には事務員としか書かれていませんでした。紹介も無しに見ず知らずの人が来院する事など無い診療所だったので、それだけで多少の驚きがありました。

口の中を拝見しますと、そこそこに治療はしてあるのですが、バランスが悪く前近代的な治療を施されており、うまく咀嚼(かむ事)する事は出来ないだろうと思ったのです。問診しますと、やはり胃痙攣を時々起こすとの事で、やせた細面の美しい方でした。

痛いという歯の治療をしながら健康管理の指導をし、治療方針の相談をしながら口全体の診断の説明をした訳です。当時としては私の話は良く理解してくれ、積極的に協力してくれる方でした。1ヶ月程たちまして互いの信頼関係が出来上がった頃には、全て私にまかす多少の費用はかまわない何とかして必ず払うから、と言われ治療方針は全てまかされた訳です。

学問としては理解しているのですが、まだ患者さんの口の中には表現した事の無い事に取り組む事になったのです。もちろん全てを話し全て了解のうえです。

これからが悪戦苦闘の連続でした、私の未熟さと患者さんの健康管理の難しさがあいまって、なかなか進みませんでした。ここで細かい事を話しても仕方が無いので省きますが、歯医者で型を取った経験を多くの方がお持ちと思いますが、歯列全体(28本全てです)の型を50回は取っているでしょう、少なく見積もっても。その都度麻酔もしなくてはなりませんし、大変な苦痛だったと思います。

1年弱はかかったと思いますが、何とか終わりに近づいた頃、患者さんの後にご主人になられる方の友人で、メキシコの歯科大の教授で交合(かむ事)を専門とされる方がみえられたのです。私もかなりの意気込みで取り組んでいましたので、写真を撮っていましたし、模型などの色々な資料も残していました。学問的にはさすがに物知りでしたが、実際の治療内容を見て、あの人はキチガイだとの言葉を残して帰られたとの事です。

私の信者になってくれました。イワシの頭も信心から(違ったかな?)と言うじゃないですか。信仰に近い状態でしたので、私はこの方のことをイワシの頭の最初の方と言っています。もちろん本人も知っていますが。一人目は大変でしたが二人目は楽でした、三人目、四人目と楽になるいっほうで、患者さんが増えていきました。

食べる事が楽しくなったそうです、それまでは噛めるかどうかが最初の選択だった様です。これも食べられる、あれも食べられる、といった状態で食べる事への喜びを味わったようです。胃腸の状態もすっかり良くなり、太ってしまい困ったとの事です。同じような事を何人もの患者さんに言われた経験があります。細面の和服のモデルさんを噛めるようにしたために、頬がふくよかになってしまいモデルが出来なくなってしまった、と言われた時はまいりました。

後日わかった事ですが、その時は辞めていましたが看護婦さんだったのです。私が悩みながらも色々と挑戦しているのに、心を動かすものがあったらしいのです、同じ医療関係者として青年歯科医師に何かかけてみようと思ったとの事です。

「どうして私の診療室に来院したのですか、こんな目立たない所の」と尋ねたのですが、本人も分らないこの事で、神様のいたずらとしか言い様がありません。

この三人の方との出会いは不思議な感じがします。

一人目の方は大学と言う組織の中での引き立て。二人目の方は自ら進んで求めていった方。三人目の方は神様が合わせてくださった方。そんな風に感じるのです。

私は無神論者ですが、人にはそれぞれ与えられた道があるように思います。ただ神様もいたずらで、私たちの行動を見て予定変更するのではないかと。


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