前回の続きです。
大学の先輩のおかげでもう一度自分を見詰め直すのに大変に良い環境を与えられました。
ただ一つだけ困った事が有りました、大学卒業以来7年ほど診療をしていますから、私を頼って下さる患者さんもそれなりに居りました、その方々を治療して差し上げる場所が無いのです。今度世話になったのがグループ企業の私的な診療所ですから、その企業関係者以外の方の診療は出来ないのです。これには困りました、結局住まいの一室に診療台を置き、はなはだ粗末な狭い所で、夜だけの診療をするようになったのです。企業内診療所での昼間の勤務を終わってから。
開業していた3年間は、経営に追われてほとんど勉強はしていません、実際それどころではありませんでした。ですから飢えていたのでしょう、夢中になって歯医者の修行に取り組みました。その診療所では内部での勉強会も盛んで、それぞれの研究発表や臨床(患者さんの治療内容)報告を良くやっていました。やはり医療内容のレベルの高い診療所という事で、歯医者仲間では評判の良い所でした。
時間も十分にありましたので、外部の先生との接触も積極的に試み、多くの先生方に教えを請いました。中には嫌がる方も居りましたが、大半の先生方は快く受け入れてくれ、実際の診療行為の見学をさせて頂いた先生もいらっしゃいます。若い時代というのはこちらに前向きのエネルギーさえあれば、受け入れてくださる方はけっこういるものだと思います。
私が接触を試みたのは歯医者だけでは無く、技工士さんや衛生士さんにも面会しました、もちろん数は少ないですが。その頃から医療チームという考え方で望んでいましたので、それぞれの仕事をどう調和していくかを追求していました。
一人の技工士さんにめぐり会ったのです。なかなか気位の高い方で簡単には面会できないとの前評判だったのですが、電話をすると簡単にアポイントを取ってくれました。後で聞いた話ですが、自分の事を紹介する時、以前3年ほど開業して閉院したと自ら言ったらしいんです、その事が気に入ってすぐ合ってみようと思ったらしいです。何が幸いするか分りません、もっとも閉院した事を恥じとも思っていませんでしたが。
彼を尋ねて、色々と学問的は事を議論しましたが、私が完全に負けました。歯科全体から見ればほんの一部の咬合(かみ合わせ)の分野ではありましたが、完膚無く負けたのです。回りからは腕の良い歯医者として認められており、天狗になっておりましたからかなりのショックでした。正直に言って、私の仕事をさせてやるぐらいに意気込みでしたから。私は弟子になりました。
夜ささやかにやっている診療所のパートナーになってもらう事になったのです。治療の最後の部分の咬合(かみ合わせ)に関してはすべて彼の指示に従って行おうとしたのですが、うまく表現できません。歯医者の仕事は頭で分っているだけでは何の役にもたちません。患者さんの口の中に表現して、そして患者さんに評価されてこそ価値が生まれる訳で、基本的には技術者であり職人なんです。
それから職人としての修行が始まりました。『馬鹿、違うだろ』『なにやってんだ』『出来ねえ』此れ全て当時の寝言だそうです、8年間お前は何をやってきたのだという意識は、かなり深いものがあったように思えます。高校の古文の授業で余談に、弓を射る絵の注文を受けた画家が、活き良いよく飛び出す矢のための張りのある弦を書く事が出来ないといって、一本の線だけを毎日毎日書き続けたという話を思い出した事をなぜか覚えています。
彼から合格の許可をもらうのに一年かかりました。その間、自分で道具を工夫して作ったり、両手両足を使い曲芸みたいな事をやっていましたね。でもどうにかその修行も終わりに近づいた頃、もう一人の出会いがあるのです。この間といい、なんとも不思議な時間の巡り合わせです。
また、次回にします。