正直に生きなさい,子供のころからよく言われた言葉です。
小心者で泣き虫だった子供は,正直に生きることが身を守るのに1番楽な方法だと感じていたように思います。
女の子の中で育ち近所の子に泣かされて帰ってくる子供にとっては、正直なや優しい良い子だという大人の褒めの言葉は大変な救いでした。
その子にとっては正直に生きることが1番楽な生き方であり何も難しいことではなかったわけです。
小心者の子供も正直に生きたというささやかな力の積み重ねが他の少年に見劣りのしない少年に作り上げたように思います。ただオレは正直に生きているぞという自信みたいなものがそうさせたのでしょう。
10代も後半になると「人生とは「などと考え座禅を組みに行ったり、何事も正面から取り組む男になったようです。
いつの日か歯科医という職業につき、名医ならずとも良医たれ、などと思いながら患者さんのことを考え、私生活でもいろんなところにボランティア活動に行ったり自分のことよりも回りのことばかりを考える男になったように思います。
酒、たばこ、ばくち、などは一切やらずお前は何が楽しいのだと言われた記憶があります。
でも、自分のことは特別に考えなくとも生きていけるだけの力はついていたのでしょう。
自分のようなひ弱で泣き虫だった子供でもできたのだから、自分のような生き方はだれにでもできることだとの思いは、常に心の中にありました。
患者さんとか他の人でも表面的に接するときはとても楽な良い人だったのでしょう。
しかしながら深い付き合いになると自分と同じ生き方を求め正直者であることを求めたようです、これは相手にとってかなり厳しいことがらだったのでしょう、特に歯医者とはぶつかりました。
50歳を過ぎてささやかな秘密を持ちました。
言ってしまえば何でもないことなのですけれども、いうことによって誤解を生ずるかもしれない、ただその恐れのために秘密にしているのです。
2人の間でもそのことには触れようとはしません、多分同じ気持ちなんだと思います。
秘密って自分のためにするのではなく、相手のためにすることだ、それは相手をとても大切にすることだということを知りました。
引き出しに深くしまっておき、時々ひとりでこっそりとみるものだと。
そういうことが人の心より深く慈しむことだと。
これからは秘密の引き出しをたくさんつくり、時々ひとりこっそり見たいと思います。